#暗黒日記
四月二十三日(日)
インパール攻撃は、最初は祕密にし、印緬国境突破も新聞社に対して押えたのである。ところが、その国境突破の反響がよく、西アジアのほうからもそうしたニュースがあったというので、今度は東條自身が乘気になり、陣頭に立って宣伝を命令しているとか。知識をもたず、目前の現象で動いている、東條らしい話だ。
四月三十日(日)
日本がこの興亡の大戰爭を始めるのに、幾人がこれを知り、指導し、考え、交渉に当ったろう。恐らく数十人を出まい。祕密主義、官僚主義、指導者原理というものが、いかに危險であるかが、これでもわかる。
來るべき組織においては、言論の自由は絶対に確保しなければならぬ。議員選挙干渉の排除も法律で明定しなければならない。官吏はその責任を、天皇でなく民衆に負うのでなければ、行政の改善は望まれない。
今日も畠をなす。葱の植えかえである。
五月二日(火)
畠をやる。馬鈴薯に追肥をやって中耕す。「土地」というものが、こう誘惑するとは思わなかった。將來、三、四町歩をもって、晴耕雨読できたらばと思う──それまで生命あらば。
近ごろは生命の限度を考える。「早く仕事をしてしまわねば」といった焦慮がある。