十月二十六日(火)
正午、軽井沢発、帰京す。中野正剛君が警視庁に捕われたことを聞く。倒閣運動の故とか。
十月二十七日(水)
夕刊で中野正剛の自殺を知る。僕は非常なショックをうけた。彼の自殺の原因は不明である。彼は生一本であった。開戰すれば、米国は直ちに屈服するとも公言した。が、それは謬りであった。その自省の気持ちが、自殺の一因であったのだろうか。それならば立派だが。
僕は彼に二回ご馳走になった。「英国を対手にするつもりなら、とにかくシッカリ研究してからやってくれ」と言うと、彼は「なか/\強敵だ。カイゼルも、ナポレオンもやられたんだからネ」と言った。しかし、彼は英国に行かなかった。英国に行くと、英国流の考え方に堕するからというのである。一つのイデオロギーをまもるために、他の説を聞かないようにするのが、彼の心的弱点である。彼の態度はつねに宗教的であった。彼は「眞」を恐れた。そして、とうとう自殺したのであった。