もちろん私はここでそのような信者さんを責める意図は全くありません。ただ、疑問に思った人は少なくないんじゃないかと思うのですが、歴史修正主義や民族差別をするようなネトウヨと、過去の国の過ちを責められて必死で献金してしまった統一教会の信者さんと言う、一見完全に相反する存在を繋ぐ場所に、あの安倍晋三がいたことについて。
私も何が起きているんだろう?と、あの安倍さんが殺された事件の後、統一教会の問題が露呈していく過程で、その一見すると大きな矛盾点に見えることについて、ずっと考え続けていました。
で、考えた末に私の中で閃いたのは、上記のようなことです。つまり、ネトウヨも信者さんたちも、とてもではないけれど自分として受け入れられない事実に耐えられず、前者は完全になかったことにしてしまう。後者は穴があったことは認めるもののそれを何とか取り返そうとする。実際には私たち日本人は、過去に取り返しのつかない罪を犯したのであり、その事実は消すことは出来ないので、反省する以外にないのですが。
そしてその結節点に安倍晋三がいたと言うことの意味は、まさに彼がそれを認めない日本の象徴であることで説明がつきます。別の言い方をすると戦後のそのような日本国の態度がネトウヨや統一教会の犠牲者を生み出した。