朝日新聞がスポーツと暴力の問題を積極的に取り上げいる。「私もかつてサッカーをやっていて、スパイクで蹴られ、「水を飲むな」という指導を受けた世代です。水分補給はともかく、昔のノリで教えている指導者がまだいて、体育会系の声の大きい指導者がのさばる傾向にまだある、と感じます。
一般的に、教員になる人は22歳で大学を卒業して、新入社員と同じ立場なのに「先生」と呼ばれます。忙しくて、しっかりニュースも見られず、世の中がどうなっているかをよくわからない生活を送っているかもしれません。そんな中、スポーツの指導者研修も受けずに部活動の顧問になり、根拠もエビデンスもない指導でも、自分が受けてきたことと同じ指導をする「負の連鎖」があると感じます。
そもそも部活動で明らかになっている体罰、暴力を、私は生徒に対する虐待だと思います。なのに、発覚すると「行き過ぎた指導」と言いますね。そこが既におかしいと思います。」
https://onl.la/UBkmvzd
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S.Itani (ikeitani@mstdn.jp)'s status on Monday, 19-Dec-2022 10:50:06 JST S.Itani - そば屋の側のうどん屋(あお) repeated this.
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S.Itani (ikeitani@mstdn.jp)'s status on Monday, 19-Dec-2022 12:51:41 JST S.Itani 「体育会系の声の大きい指導者がのさばる傾向」
つまりスポーツ系部活動(それ以外もあるかも)が家父長制の分かりやすい具現である状態がまだまだ続いているということなので、やはり体育教員養成やスポーツ指導者養成系の大学や専門学校にこそジェンダーの授業を必修にすべきだと思う。スポーツとジェンダーを専門にする研究者ももっと育ってほしい(これは自分の責任でもある)。In conversation permalink -
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S.Itani (ikeitani@mstdn.jp)'s status on Monday, 19-Dec-2022 12:51:41 JST S.Itani そもそもスポーツを最初にやるきっかけの多くは、ただ転がるボールを追いかけたり、投げて何かに当てたりすることの楽しさや、終わりのない鬼ごっこやタクシーごっこをずっと続けるような、風や水を切って動くことの興奮や楽しさだと思う。それがいつの間にか学校代表や国代表の責任であるとか「適正な身体」を持っていること(それは場面ごとに基準が変わる)や「運動能力が高い」ことを証明するためのテストでいい結果を残すためといった、スポーツの楽しみにとって「余計」なことに意識が覆われて、そもそもなんでスポーツや運動をするのかということが置き去りにされてしまう。だから体育が嫌いだった人が大人になって、自分の意志とペースで運動するようになったら楽しかった、ということがしばしば起きる。プロスポーツはエンタメにもなるし、その道を選ぶ人を否定する気はない。だけどスポーツを経験する圧倒的多数(99.99%以上)の人がプロのアスリートにならないことを考えれば、エリートモデルのスポーツがメディアでも教育でもこれだけ幅を効かせる状況はスポーツの可能性を狭めてしまうし、何より家父長制のツールであり続けることを許してしまう。
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