病気で子宮摘出した人のことを考えろ、の人でてくるの知ってた。高校生の頃に遠来が筋腫で全摘したとき、摘出された子宮見せてもらったし、術前術後の話も聞かせてもらった。そのときはじめて子宮を失っても社会生活を送れる(当然なんだけど当時あまり物事がよくわかってなかった)と知って救われたし、母体保護法によりGID診断ないと無理なことを知って絶望した。子宮を無いから苦しい人も、子宮があるから苦しい人も当然いて、その苦しみに優劣はないよ(私の場合まっぐに「不要」と言えないが、別に子宮に限らず ある/ない や 要/不要 以外の語りもできるでしょう?)
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仲山遥那(Haru) (nkhr0401@mastodon.lol)'s status on Sunday, 27-Nov-2022 11:09:26 JST 仲山遥那(Haru) -
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仲山遥那(Haru) (nkhr0401@mastodon.lol)'s status on Sunday, 27-Nov-2022 14:26:31 JST 仲山遥那(Haru) 子どもを産める子宮だったら「健康」なの? それは私にとっては思い描く身体と現実の身体とを乖離させる要因のひとつで、そのせいで何年も何年も何年も悩んで死にたさの影にはいつもそれが立っているのに、これは「健康」なの? なぜ今もなお続く逡巡をなかったことにされて「無神経」と言われねばならない? なぜ、どうして? 二元論的な「女」たちの子宮や産にまつわるさまざまな語りの限りなく近い場所にあえて自分の経験を位置づけて共苦を試みてきた人間のこと、おまえは知らないのだろうね。
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