例の石丸伸二、「新党たち上げ」といいながら、政策も党議拘束もなく、本人も出馬しない、というのだから、誠に「人を馬鹿にした」話である。
要するに「石丸」というロゴで政治信条を問わず「政治屋」になろう、という連中を「組」にしようということ。当然、石丸の背後にもコンサル・広告をはじめ、選挙利権も絡んでいるのだろう。
ところで石丸のキャッチフレーズは「政治屋一掃」ではなかったか?実際やっていることは「政治屋」製造マシーンである。
ここで石丸に投票した側に心理から見ると、20-40代前半の「被害者意識」を持った大卒者というプロフィールとなる。
確かに、大きく見ればこの世代は、高度経済成長の世代と比較すると、人生設計の点で著しく不利になり、また「社会構造」を批判する視点がないため、ほぼ「自己責任論」を内面化している。
人はともすると「情念の奴隷」になりやすく、とりわけ茫漠とした「被害者意識ルサンチマン」に囚われていると、「現実」が見えないだけでなく、情報操作による「集団催眠」にもかかりやすくなる。
しかし、逆に労働の搾取や広告屋、コンサル・株屋の「あくどさ」を言語化できれば、「ルサンチマン」をコントロールできるかもしれない。例えば報酬1億以上の資産課税などには、反対する理由もない筈だ。