ヤマザキマリの言っている事がそこらへんの反グロオーガニック右翼と違わないように感じるだが。
いやもっと良心的に言えば反グロオーガニック右翼の入口にいる人っぽい事を言っているように感じるのだが。
『グローバリズムが合う場所、合わない場所
ヤマザキ:先日、京都から息子がメールを寄越してきたんです。彼はかつて京都に留学していて、久々に京都に戻ってみたら、大学の帰りに寄っていたカフェで好き勝手に騒いでいる外国人がいる。変なたばこの匂いもした。京都に来ている外国人の様子が違ってきている……という内容でした。昔は京都といったら、確かに観光ではあるけれど、日本に興味を持つレベルの人たちが来ていたんですよ。そこには、今では日本がどんな国なのかもろくに知らず「安くて楽しいらしいよ」というノリだけで訪れる外国人が増えて驚いた、とありました。京都に限らず、歌舞伎町の路上で飲んだくれて寝そべったり、神社の連なる鳥居の間をマウンテンバイクで走り降りたり。私もそんなニュースを見るたび、頭に血が上りっぱなし。
マイルドに言うと、文化・教養を積み上げる努力をしない者たちが幅をきかせている、ということですね。
ヤマザキ:無自覚に破壊していく社会の到来という意味では、蛮族による古代ローマ帝国崩壊の兆しや、ポルポト、そして文化大革命などを想起させられます。いいじゃん、外国人たくさん来て何が悪いのさ、と反論したくなる人もいるだろうけど、世の中にはそれが向いている国とそうじゃない国があるということが、この年齢になると、見えてくるようになるのですよ。国際結婚もしているし、世界中に知人友人がいるけれど、人類皆兄弟なんてのは神話の域を越えられないのではないか、と、最近そればかり感じています。
グローバリズム万歳で、タイパ、コスパを推奨した果てに、トレビの泉も京都のカフェも、おちおち感興に浸れない場所になっていることは確かですよ。
ヤマザキ:私もずいぶん世界の国々を暮らしたり旅したりしてきましたが、地球上で発生する社会や民族の生き方は、その地質や土壌、風土によって違ってくるのは必然です。倫理も法も、そこに発生する宗教も、それぞれ、自分たちの土壌に適した形に象られていく。どんな動植物も同じですよね。それは動かし難い地球という惑星の性質だと思います。
グローバリーゼーションという考え方は人間の知性として理解して然るべきコンテンツですが、応用となると私にとってはちょっと別解釈ですね。次元を変えた見方をすれば、古くからのお得意さんで成り立っている下町の小さな銭湯が、『ロンリープラネット』を抱えた外国人だらけになってしまったら、もう私には悲しさしか残らない。自然界隈でも、外来種が増えて日本固有の自然の生態系が崩れていくと、皆大騒ぎをするではないですか。グロバリーゼーションという概念は、動かし難い隔たりや距離感を互いに守ってこそ、成立させられるものではないかと思います。そんなのヤマザキさんのエゴでしかない、と言われたらそれまでですが。』
ヤマザキマリは「本屋でわくわくできなくなってきた」 https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00621/010800012/?n_cid=nbponb_twbn