それは「サマーウォーズ」の限界だとも言えるが、同時に「ケア」とか「再生産」とかの意味をどう捉えるかということでもある。日常を維持しなくて守れる世界はない。
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るまたん (lematin@mastodon-japan.net)'s status on Sunday, 22-Dec-2024 06:21:59 JST るまたん
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るまたん (lematin@mastodon-japan.net)'s status on Sunday, 22-Dec-2024 10:15:58 JST るまたん
@echoasm どうだろう、それならば女性陣を出す必要がそもそもないので、「ケア」(=近代的なシステムからはみ出す、しかし人の生存に不可欠な部分)と生産&テクノロジーの分野との対比、っていうのは意識はされてると思う。ただ、それは自覚的というよりは「男vs女」「近代vs伝統」というような文脈に付属して出てくる。そこは細田氏の限界。
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理想を抱いて溺死しろ (echoasm@o3o.ca)'s status on Sunday, 22-Dec-2024 10:15:59 JST 理想を抱いて溺死しろ
@lematin
うん……言いたいことは心いる。でも、「サマーウォーズ」はテーマ上、それを意識していないと思う。男性陣はほぼ(金髪の万助おじさん以外)栄さんのご遺体や葬式のことを優先することに異議はないが、女性陣は露骨に彼らがOZの混乱を解消するのに手を貸すのを馬鹿にしている。
栄さんが亡くなった直後、男性陣(病院、消防署、警・軍などに務める親戚たち)は「OZが故障しなければ栄ばあちゃんは助かったかもしれません」→「OZがまだ混乱している今、似たようなことが起こらないとは限らない」と理解した上で「他人の日常」に関心を向けているのに、女性陣は葬式のことにとらわれて、「なんでうちがこんな時によそんちのことの心配までしなきゃなんないわけ」とまで言い出す。こういう対立自体はストーリー作りの意味では面白いけど、そこで明らかに性別で立場を分けるのが「時代的に遅れている」と私は思う。「家族で戦う」栄さんの血筋はどこへやら……あと、最終的に「自分の日常を維持するだけでは家族を守らない」という話になるので、そういう「ケアも大事」という考え方は、09年当時の監督にはなかったんじゃないかな……。
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