表現の自由がなぜ大切なのかといえば、それが民主主義の原則であるからだ。誰もが意見を述べ政治に参加することを保障するためだ。
この原則を見失うと、被差別者を抑圧する様な言説を「表現の自由だ」と言って正当化するようなやからが蔓延ってしまう。
被差別者を抑圧する様な言説こそが、被差別者の発言権を弱め、被差別者の表現の自由を奪っているということに気づかなければいけない。表現の自由の原理は、より立場の弱いものが安心して発言できる場の保証として機能しなければ意味がない。
Conversation
Notices
-
Embed this notice
カラバコ(たぬきのたからばこ) (hi_kmd@misskey.cloud)'s status on Friday, 05-Apr-2024 11:38:43 JST カラバコ(たぬきのたからばこ) - るまたん and HyoYoshikawa repeated this.
-
Embed this notice
カラバコ(たぬきのたからばこ) (hi_kmd@misskey.cloud)'s status on Friday, 05-Apr-2024 11:39:44 JST カラバコ(たぬきのたからばこ) 「疑わしきは被告人の利益に」の原則を、政治家の言い逃れに適用するのも似た様な誤謬だと思う。なぜ疑わしきは被告人の利益になるか、それは捜査する公権力が明らかに強いからだ。
捜査する公権力にすら影響力を及ぼせる政治家が、「疑わしきは罰せず」の幕の向こうにいたら、いくらでも「疑わしい」を理由に逃げ続けることができるだろう。(そして現在それを実行している)