BTおお … しかし最近の子どもは "家で葬儀を出す" こと自体が既に知識の範囲外の出来事じゃないかな … 三歳児健診などで黒電話の絵を見せられても答えられない子どもが云々という話と同根のような … ☎︎
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木野どど松 (ddquino@ddoskey.com)'s status on Wednesday, 01-Nov-2023 08:59:48 JST 木野どど松 -
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木野どど松 (ddquino@ddoskey.com)'s status on Wednesday, 01-Nov-2023 08:59:47 JST 木野どど松 この話はよくするのだが大学へ入学して最初に言われた「教養とは想像力です。自分と異なる時代・異なる国・異なる人種・異なる文化、自分以外の他者への想像力を養い得ることです。」ともリンクする。今の子どもたちは『ごんぎつね』を読めるようになるための "教養" の範囲が一世代前とは既に大きくズレている … というだけの話かも :blobfox:
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木野どど松 (ddquino@ddoskey.com)'s status on Wednesday, 01-Nov-2023 08:59:48 JST 木野どど松 元記事の論旨からは外れるがこの葬儀の話が出るたびに思い出すのが映画『家族ゲーム』だ。戸川純が演じる団地の奥さんが「いざとなったとき、ここでは母親の棺桶がエレベーターに乗らない。どうすれば良いか」と泣き出すシーンがある。自分は家で出す葬儀というものを知っている世代なので意識したことはなかったが確かに団地では葬儀を出せない(エレベーターには実は長物を乗せる用の扉がありますけどね)。「家」が「ケ」に特化して「ハレ」を切り離し始めたのは団地が一般化し始めてからなのではないかと感じていて、その最たるものが葬儀ではないかなあ。
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木野どど松 (ddquino@ddoskey.com)'s status on Wednesday, 01-Nov-2023 08:59:48 JST 木野どど松 元記事の話へ戻ると、これは読解力の欠如というよりも読解力に必要な前世代へ対する知識力の問題であって、そもそも『ごんぎつね』自体が変化の激しい近代には補足なしで読める題材ではなくなっている … ということではなかろうか。消毒のために煮沸しているという想像力は、ある意味とても現代的で鋭い感性のように思う。
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