「風評」問題は、風評対策を行えば行うほど、「風評がある」という状態が刷り込まれ、逆に風評が固定化してしまう、というパラドクスもあります。これは、啓蒙を行うほど風評が固定化する事態を招きかねない、ということをも意味します。
正直、啓発や啓蒙の力を、私はそんなに信じていなくて、もっと国が安全性を説明して国民的理解を得るように、とよくなされる要求も、かえって風評を固定化するだけなのでは、という気がずっとしていました。
noteに書いた2016年のグリーンコープ誤報事件、民友の記者さんも福島の方で、福島のためと思ってやったのだろうから、本文には書かなかったのですが、あの報道など、一連の「風評に苦しむ福島」告発キャンペーンによって、福島=風評のイメージは、逆に全国的に広く固着化してしまった、とも思っています。