「不当なことが起きたときに中立を主張するのは、抑圧する側を選んだことを意味する。ゾウがネズミの尻尾を踏んでいるときに中立だと言ってもネズミはあなたを決して中立と思わないだろう」
ツツ元大主教
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/459805.html
南アでアパルトヘイトの撤廃に尽力したという。
「不当なことが起きたときに中立を主張するのは、抑圧する側を選んだことを意味する。ゾウがネズミの尻尾を踏んでいるときに中立だと言ってもネズミはあなたを決して中立と思わないだろう」
ツツ元大主教
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/459805.html
南アでアパルトヘイトの撤廃に尽力したという。
@yakumi_kienai
名言ですね。
大切な言葉です。
ご紹介ありがとうございます。
植月さん、ありがとうございます。
岩波「世界」の99年のシンポジウムの文字起こしを紹介・確認するのにいま読んでいて、
その中で高橋哲哉さんという方がお名前をあげていらっしゃります。
故人ですが、非常に教わることの多い方ではないかと思い、紹介いたしました :ablobnwn:
@yakumi_kienai
「不当なことが起きたときに中立を主張するのは、抑圧する側を選んだことを意味する。」
ツツ元大主教のこの言葉は重い、と思いました。
わかっているつもりでも、改めて……。
世論調査の項目や「わからない」「どちらでもない」と答える欄がありますが、不当なこと、明らかに民衆が抑圧されているとき、「どちらでもない」「わからない」は、傍観者となり、加害者と認めることと同じだと思います。
日本の選挙でもそうですが、日本の与党(自民・公明・維新・国民民主)政治が明らかに民衆いじめであるにも関わらず、野党に投票せず、選挙を棄権することも、暗黙の与党支持になると思います。
やはり、無知は危険ですね。
加害や暴力、搾取の容認、さらに、戦争の容認につながることなので。
ツツ大司教の訃報を聞いて、書いた投稿です。彼の演説を聞くまで、私は「アパルトヘイト」は遠い他人事にしようとしてました。しかし、演説によって、積極的な行動をとっていなかった自分が恥ずかしくなりました。
I attended the rally at Pauley Pavilion on the UCLA Campus in 1985. Until I heard his speech, I had only a vague idea of what it meant to be a black in the apartheid South Africa. I knew that we, the Japanese, were treated as honorary whites there in spite of our skin color because both countries profited greatly from the economic relationship.
(continues to replay->)
@yakumi_kienai
I believed that the apartheid should have been abolished ASAP, but my attitude was indifferent at best at that time. Dr. Tutu woke me up. He told us that not being proactive would only help the system of injustice and those who were behind it.
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