昨日のイベントでもちらっと話したんだけど、性同一性(ジェンダーアイデンティティ)というひとつの言葉に色んなものがあって、それぞれこの言葉を使いながら違うものを見ているような部分もあって、そこが難しいなと思う。
だから私はイベントのなかで「認識/アイデンティティ/存在」で分けて考えたほうがいいんじゃないかと言ったのだけど。
単に自分が女性であると「認識」していることと、自己理解の重要な部分として自分が女性であるという「アイデンティティ」を持っていることは違う。また「アイデンティティ」には言語化能力やアイデンティティ・ラベルをはじめとした言語資源へのアクセスが大きな部分を占める側面もあるように感じてる。あるアイデンティティ・ラベルをいまだ知らず自己理解に組み込めていないけれど、このように「存在」しているという状態は常にありうる。だからアイデンティティを尊重すべき、というのは当然すべきなのだけど、それだけだと誤解を招くようにも感じていて、尊重すべきは「アイデンティティ」というよりその人の「存在」なのでは、とも思う。