昨日から考えてる西原理恵子問題。
自分の中でずっと棚上げになってたんだけど、ようやく動き出した。
(予期せずそういうきっかけをもらえるのがSNSの良きところ。)
確かに才能はあったんだろう。でもその才能は深い思想に基づいて表現するというタイプのものではなく、何がウケるのか、何が求められているのか、どうすればたくさんの人が喜ぶのか、てことを的確に捉えて、それを望まれた以上の形にする、て方向に最も発揮された。それはもちろん意識的にそれを選んだはず。そこで動いてるのは、要するに数の論理とカネの論理であって、そこに自分の思想はなかった。或いは、思想でメシは食えんだろ、甘えてんじゃねぇ!、という「思想」があった。
だから彼女は、マジョリティ側につくことを選んだ。それが彼女の生きる術だったから。
だから、本質的には力の信奉者だ、ていう指摘はまさにその通りで。
初期作品には好きなものもあるのは確かなんだけど、『ぼくんち』に自分はどうも馴染めなかった理由も分かってきた。あれは、「マジョリティが望む形でのマイノリティ」を描いてたからだ。きっとそうだ。つづく。