「日本と世界の戦後反省について」
高橋哲哉 東大助教授(当時)
フィリップ・モロー・ドゥファルジュ パリ政治学院教授(当時)
「リペンタンスとリコンシリエーション(改悛と和解)」99年刊
"Repentance et Réconciliation" written by Philippe Moreau Defarges
を引き
戦後反省(本文では改悛repentance)のグローバリゼーションが起きている(最下部に年表※網羅的ではない可能性)、
(後世の日本人が直接の戦争責任を負っているわけではないものの
この主に90年代に入ってからのグローバルな動きの中で
日本が迫られている戦後責任について理解する必要があるのでは、と高橋は当時している)
この「リペンタンスとリコンシリエーション」という本の中で「拒否されたリペンタンス」と言う1章があり
世界的に求められているリペンタンスを拒否する国として
トルコと日本の2国をあげている
(ちなみにトルコはオスマントルコ時代のアルメニア人虐殺。今も認めていない)
アジアでは日本とアジア諸国との和解に関して、少なくとも90年代前半、ポジティブな動きがあったという
戦争被害者として個人が名乗り、日本の側でも、それに応えようという運動があった
ところが95年あたりから逆流が起こってきたという
93年に細川首相が侵略戦争と植民地支配の責任を認める発言をしたことが直接のきっかけ
それに危機感を抱いた人たち、特に国会議員のグループが「歴史検討委員会」結成、戦後50年国会決議に反対する動きを強めた
結果として、決議はしたものの侵略・植民地支配の主体を明記せず,反省と謝罪の文言は「深い反省の念を表明する」となり,不戦の誓いもない
https://kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E5%BE%8C50%E5%B9%B4%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B0-158980
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=125
その後はみなさんもご存知のとおり
自由主義史観、新しい歴史をつくる会と言う動きが出てきて、文化人、言論人などの側からナショナリズム(というか、ひいては日本の戦後責任否認)の動きが起きた
(99年時点で自由主義史観・藤岡信勝により南京大虐殺マボロシ説もすでに採られいる)
この人たちが大きなキャンペーンを敷いたため、世論に効いたと見られる
引き続き高橋曰く
90年代後半は世論だけでなく、マスメディア全体の雰囲気が、いまや時代はナショナリズムといった雰囲気であり
この雰囲気の強まりが99年第145国会で問題法案が次々通った背景にあった
ーーーーーーー(戦後反省年表)ーーーーーーー
70年代はじめ 西ドイツのブラント首相がワルシャワゲットーの前でひざまづいて象徴的な謝罪を行う
75年ごろ? ニュージーランド マオリとの関係について人権侵害の改悛(精算)の動き
70〜80年代 ドイツはパブリックに過ちを認めて可能な限り補償するという路線
95年 フランス・シラク首相 ドイツに占領されていた時代のドイツへの引き渡しを含む反ユダヤ政策を国家として初めて認め、謝罪
教会・警察なども、傍観・強力していた罪を謝罪
東欧の社会主義圏崩壊後 ポーランド・チェコ・ハンガリーの大統領や政治指導者 自国のユダヤへの迫害政策を謝罪
97年以降(ブレア首相になってから) イギリスはアイルランドに対し、150年前の飢饉の際に見捨てたことまで遡って謝罪
99年ごろ フランスがホロコーストの問題だけでなく、アルジェリア人への植民地支配に関してパリのアルジェリア人を弾圧した事実を認める動き
90年代(南アフリカのアパルトヘイト終了後) 南ア真実和解委員が作られる ツツ大司教がアパルトヘイト時代の人権侵害に関して 黒人の側、ANC(アフリカ民族会議)の側のテロ行為も含めて詳細な報告書を出している
90年代後半か 南米 チリやアルゼンチンの70〜80年代にかけての軍事政権時代の人権侵害について精算の動き
90年代 オーストラリア アボリジニとの関係について人権侵害の改悛(精算)の動き
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