先日来話題の朝日新聞に寄稿した作家のブログのスクショを紹介している人がいたが、もうちょっとひねくれたり斜に構えたりしろやという感想を持つ程度に凡庸だった……
Notices by 早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com), page 7
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Saturday, 31-Aug-2024 03:00:45 JST 早川タダノリ -
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 17:15:57 JST 早川タダノリ 理論的あるいは政治的正邪しかものさしがないことのおかしさをえぐる思想がないと、軽薄にも「正義に疲れて」しまうのではないか説
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 17:08:41 JST 早川タダノリ しつこく埴谷雄高を引用して誠に恐縮でありますが……
「人間が条件によって可変的であるとの革命的な認識は、まず、固定したかたちの敵を容認しなくなったばかりでなく、一般に人間を敵として設定することをも不可能ならしめたのである。もし与えられた条件が変革されれば、それまで敵と見られたものも敵でなくなってしまうばかりか味方にさえなるのであって、敵は与えられた条件自体であるというその認識はひたすら、人間のみを敵とすることによって冷酷な死と流血を歴史のなかに記録してきたこれまでの政治のかたちに、ひとつの決定的な終止符を与えるまさに革命的な転変なのであった」(埴谷雄高「政治のなかの死」1958年)
おのれを含むところの人間の可変性についての認識を支えるのは、〈人間のみを敵とすることによって冷酷な死と流血を歴史のなかに記録してきたこれまでの政治のかたちに、ひとつの決定的な終止符を与える〉ことをめざす思想的背骨
QT: https://mastodon-japan.net/@lematin/113039426860929300 [参照] -
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 15:09:52 JST 早川タダノリ 一斉ですね恥ずかしい
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 11:53:56 JST 早川タダノリ 「私も「正義」の被害者です!」と一勢に手を挙げるありさま
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 10:08:55 JST 早川タダノリ だんだん「率直に意見を述べて議論をできない社会、それはたしかに民主主義の危機である」規定の寝ぼけぶりに腹が立ってきたわ……
QT: https://fedibird.com/@hayakawa2600/113042446736637965 [参照]In conversation from fedibird.com permalink Attachments
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 10:02:14 JST 早川タダノリ 振り回される「大義」を踏みつけに行かず、ささやかな「正義」ばかりをなじって見せるしぐさ、とも言える。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Thursday, 29-Aug-2024 09:20:52 JST 早川タダノリ 星野寄稿へのコメントプラス、今朝見ると執筆者がさらに増えていてまたびっくり。「カルト」規定に疑いがなかったり、「率直に意見を述べて議論をできない社会、それはたしかに民主主義の危機である」と〈民主主義は工場の門前で立ちすくむ〉状況どこ行った?的なものなどを見た。
「傲岸、卑屈、執念――これが階級社会を反映した組織の枠内に必ず起る精神の三位一体である」(埴谷雄高「政治のなかの死」1958年)と、スターリン批判のころからえぐり出されてきた半世紀以上の歴史があるわけで、それを「カルト」性と特徴づけるのはあまりにも平板であるのみならず、〈政治〉にまとわりつくその傾向の普遍性を突き出すよりも、単に外部化と排除しかもたらさない。それこそがまた、絶えず「敵」とのあいだに線を引き続ける、〈政治〉の再生産ではないのか。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Wednesday, 28-Aug-2024 10:24:53 JST 早川タダノリ 昨日から話題の朝日新聞星野智幸寄稿、これについているコメントプラスを読んで、いろいろびっくりした。
いずれのコメンテーターも、ひどく「正義」に疲れていたり、「正義」に依存なさっていたご様子だが、それはホントなのか? それってバーナム効果なんじゃねえの?……と思うが、いずれのコメントにも欠けているのが、こうした「正義疲れ」を満喫できる自分ってなんなの?という自問だ。
https://www.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html
「「正義」の無謬性に完全服従し全身を預け、個人を重視するはずのリベラル層が「正義」に依存するために個人であることを捨てている状況。」(能條桃子)
おいおい、「個人であることを捨ててる」ホントかよ的に唖然。
「この虚しさを振り切っていくつか論考を書いたのだが、そのとき私の胸に去来したのが「正義」への依存だった。自分は正しい指摘をしている。そう自らを鞭打って、今やるべきことをしなければならないのだと自らを納得させ、進まない筆をなんとか動かした」
(平尾剛)えっ、それは「正義への依存」なんですか?
「純粋に善や正義を求め、悪を排そうと正義感をかきたてると、集団も自身もカルト化するのになかなか気づかず、ブレーキはかけられないのだろう。」(江川紹子)
はいはい、カルトカルト……
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 23:48:30 JST 早川タダノリ @kurohiko 激しく同意。なんか反ヘイトの運動はやってたそうですが。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 23:44:28 JST 早川タダノリ リプで「疑似宗教化した社会正義イデオロギー」なる文字列を頂戴したが、あまりにも陳腐な規定すぎて共感性羞恥しか覚えん。これ、理屈っぽい人だったら、「疑似宗教をどう規定するのか」とか「社会正義はイデオロギーなのか」とかめちゃくちゃ突っ込むと思う。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 22:28:51 JST 早川タダノリ 最初に読んだとき、「「弁証法的唯物論」の中の人は一体誰なんだよ」と気になってしょうがなかった
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 22:26:06 JST 早川タダノリ 例えばスターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』で、「弁証法は…とみなす」「史的唯物論は…とみなす」表現が死ぬほど出ており、概念が主体の地位を簒奪して、人間の認識活動が消失している。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 22:20:52 JST 早川タダノリ 「正義」とか「悪」とかを実体化して語るところからして落とし穴で、担い手である人間が消える。前掲の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺にしても、ある人間たちが・特定の信念にもとづいて・虐殺したというしくみを、抽象化して文学的修辞におとしこむのよくない。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 22:09:37 JST 早川タダノリ 「「やつら」を懲らしめようとする正義の暴走です。関東大震災の時の朝鮮人虐殺が、まさにこれでした」
https://www.asahi.com/articles/ASR9X3SH1R98UPQJ00J.html
佐藤冬樹『関東大震災と民衆犯罪』を読むと、自警団構成員は「殺してもいいという国家のお墨つき」が出たとして倫理のリミッターを外していたことが指摘されている。
「民衆は国家の後ろ盾を強く意識し、「公許の殺人」を犯したと認識していた」
「国家との間には、前線の兵士同様に「殺しても良い」という黙契が成立していた。当初の経緯を考えても、彼らがこの黙契を信頼するのは当然であった。言い換えれば、彼らは町や村を代表して、朝鮮人に「報復」を加えた」(以上、上掲書)
「俺がやる」と「やってもいいらしいからやる」との違い。「せっかくだから殺した」的な証言もあった。
「正義の暴走」と(いささか紋切り型に)抽象化する前に、国家という権威が許せばぶっ殺してまわる根性をえぐり出したい。
(2023年10月3日のツイートを再掲)
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 12:11:02 JST 早川タダノリ 他者の政治的汚物の匂いを嗅いだり顕微鏡で見たり味わったりするタイプの「文学の言葉」はお嫌いですか?
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 12:07:41 JST 早川タダノリ 蛇足:70年代の論壇誌に散見される「セクト」批判はテキトー「日本人」論とか「集団主義な日本人」観とかも援用されながら展開されているものがあったが、そんな民族的特性に還元しなくても、ある種の「政治」に必然的につきまとう普遍性を持ったものではなかったか。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 12:04:48 JST 早川タダノリ かつて埴谷雄高はこう書いた。
「これまでの政治の意志もまた最も単純で簡潔な悪しき箴言で示すことができるのであって、その内容は、これまで数千年の間つねに同じであった。
やつは敵である。敵を殺せ」
(「権力について」1958年、『幻視のなかの政治』所収)この階級政治の原理が「敵を識別する緊張が政治の歴史をつらぬく緊張のすべて」(同上)をはらむのだが、ではその〈政治〉をえぐる「文学の言葉」は、星野寄稿にあるのだろうか?
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 11:43:56 JST 早川タダノリ 本文には「カルト化」「カルト集団」「カルト」と〈カルト〉ワードが7回も頻出している。カルトカルトと連呼すると、それぞれの政治集団のロジックやイデオロギーを内在的に批判していったり、具体的な政治過程をあとづけていったりするよりも、〈無謬性を信じる閉鎖的な集団〉だと描きだしておしまいにできるので楽ちんだ。まことに凡庸かつ安易な道ではないか。
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早川タダノリ (hayakawa2600@fedibird.com)'s status on Tuesday, 27-Aug-2024 09:25:20 JST 早川タダノリ そもそもここでは、政策的に行われてきた官製ナショナリズムの鼓吹というモメントが消え、〈一人ひとり〉が持つ〈自分の中にある依存性〉に切り縮められている。これって、「日本スゴイ」コンテンツの流行を、受け手側がいだいた「不安」に理由を見出すありふれた言説と同じ匂いがする。
「長年の経済的停滞等で疲弊したところに、東日本大震災と原発事故が起こって自分を支えられなくなった日本のマジョリティーの人たちは、絶対に傷つかないアイデンティティーとして「日本人」という自己意識にすがるようになった」
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