露悪的な政治家が「表現の自由」を言い出すときにだいたいその自由として保護したいのが差別的発言だったり、陰謀論的デマだったり、それらを利用して支持率を上げている自分自身の得になることだろうけど、そうやって差別やデマを保護した結果、生み出された表現の自由への嫌悪感を、露悪的政治家は利用して今度は自分自身への批判を封じ込めるために使うだろう。
そうして表現の自由を守るという名目は本来、本当に保護するべき権力への発言の自由を制限する。トランプ的な表現の自由の時代のあとにはそれらのバックラッシュにより表現の冬の時代が訪れやしないか。