まぁこれからの大半の日本人は、その先立つお金が出せなくなるので、そのような現代人の苦悩は味わわずに“済む”のかも知れませんが。
でも、一番の不幸は、「喪失を体験できない人は、絶対に、自分のものではない人や物やことを好きになったり、惚れたり憧れたり出来ない」と言うことなんですよね。「片思い」ができないんですよ。
相手がどうであれ、自分は誰かを(何かを)好きだと言う気持ちを体験できない。
「非モテ」だと騒いで女を迫害したがっている人たちはソレなんです。彼らは女性を自分から好きになれない。そして女性の側から自分のことを好きだと言ってこないことを恨んでいる。あれも欠乏(欲求不満)を体験できないからです。
でも、恋というのは、その自分の方の切なさや苦しさがあるから素晴らしいのであって、「自分は何とも思ってないけど、他人も羨むような美人が向こうから何人も寄ってくる」なんて、人間の情緒的な体験としては何の価値もないですからね。でも“モテ”を求めている人たちが欲しいのはそれだけなんですよね。
私はファンという言葉には「憧れ」のニュアンスがあったと思っているのですが「推し」というのは何も傷つく必要のない消費者の感覚だと思っています。