現代の日本で桜と言えばソメイヨシノばかりをイメージする人がほとんどになって、500種類以上ある桜としては少し不幸なことかもしれない。桜の名所である吉野に花見遊山した折り、たまたま同乗したバスのなかで、おそらくは三河辺りから訪れたのであろう老夫婦が「千本桜っていっても全然想像と違っとったで」「○○の方がずっときれいだったよぉ」などと声高に話していて悲しくなった。確かに、麓の下千本から中千本にかけてのソメイヨシノは既に散り始めていたが、その分、万葉集にも詠まれた日本古来の原生種、ヤマザクラなどは豊かに咲き誇っていて、ただこちらは、花と一緒にほんのり同系暗色の若葉も同時に出てくるので全体として少しぼんやりとして見える。そのあたりが多分、「想像と違った」のだろう。多様性の時代なのに、こと桜に限っては随分と偏狭である。もとより、早く咲けと待ち侘びながら、咲いたら咲いたで長く咲け、せめて今週末まではなどと無理強いし、散れば散り様を人生や命と重ね合わせたりして愛でるけれど、完全に散り終わってしまえば背を向ける…まぁ、それだけ愛されているということなのだけれど、桜としては、なんて我がままな心根だとため息のひとつもつきたくなるかもしれない。かくいう僕もまた同じ。桜に、来し方行く末の様々を思いめぐらして涙する始末。勝手だ。