ゴミをどうするか、ということも、個人で処理するのは大変だから社会で一括して集めましょう、というのが基本的な社会のあり方であるのは大前提であるが(公共のゴミ箱の不在はその大前提がぶっ壊れたからである)、例えば分別して捨てなくてもコンピュータヴィジョンと深層学習とロボット化と表面化学や微生物化学の総動員でなんでも一緒くたに公共のゴミ箱に捨ててあとで分離、再生率を極限まで高める、みたいな技術を実験的に披瀝することはできたのではないか。少なくとも昭和の夢「空飛ぶクルマ」すなわちエアカーよりもそれが2025年にとってのまともな未来に思える。下水の幹線が腐食でぶっ壊れたのと、このゴミを社会から排除し無かったことにする社会は、形だけ立派にして2億円でデザインしたトイレが1日で詰まって使えなくなることも含めて、共通しているのである。