108-111頁でここまでのまとめとそれを受けてどう考えるのかという話。
まず、これまで提示されたものが完璧でなくてもいいよねと。ぼくらは不可謬主義に立つのではなくて可謬主義に立つのだからと。
そう、ぼくらはそう。だけど、陰謀論者やうわさを信じてデマやフェイクニュースを流してしまう人、専門家に不信を抱いている人たちはどうなんだろう。
査読論文がたくさんある人とそうでない人、どちらも医学部の教授だけど、健康被害のリスクの疫学的研究を行ったことがない教授がタバコの副流煙についての害はないという主張と、この分野の研究を専門に行ってきた研究者による害はあるという主張のどちらがより信用できるかという話。
この109-111頁の記述は本当にその通りなんだけど、これが通用しない人がいるというか、これと全く逆のものを「より信頼がおける」と信じてやまない人がいるから困っているのよね。そうした人に対して、上記のようなことを説明しても効果は無いわけで。
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