もうひとつ。著者は学位と違って大学における職位としての「教授」という肩書は、ここに言う「専門家」とは異なると指摘する。それは、確かに大学が教員を採用するにあたっては「メタ専門家による査定が行なわれている場合も多いが、必ずしもそれは必要条件にはなってない」(104頁)からだと。
この指摘はそのとおりだと私も同意するのだけど、だとすると先ほどの資格や学位はどうなのかってことにも同様のことは言えるわけで、たとえば弁護士だって司法試験を経由せずになることができるし、学位だってその質がどこまで担保されているのかかなりあやしいものである。
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