(↑上記より抜粋)
酒井 この問題を私は天皇制を引き合いにだして再考してみました。自発的隷従を日本で論じるときに天皇制を避けるわけにはいきません。そこで本書の解題では、天皇制への自発的隷従と見なされているものが、はたしてそうなのか、と疑義を呈しました。「一木一草が天皇制である」という命題と、自発的隷従論は非常に相性がいいと思います。そして、こうした論じ方自体が袋小路であることは明らかです。
考えてみるなら、日本において天皇制は強力なタブーであり、暴力に囲まれていることは誰もが知っています。それを侮辱する者への嫌がらせはもちろん、物理的殺害もめずらしいことではありません。そして、このテロリズム(天皇制を擁護する暴力)に対しては、この社会において強い非難や排撃、取り締まりの対象にならないこともみな知っています。知識人ならなおさらそうでしょう。
(略)
右翼ではない知識人が、天皇への愛着や信頼をなにがしかポジティヴに捉えることそれ自体に、恐怖感とその否認がある。これは暴力への恐怖を直裁に表現できない、それを抑圧してしまうマチズモとも深く関係していると思います。
「自発的隷従」論は、こうした恐怖感の自己抑圧にも相性がいいのです。
おおおおおおお。