(↑上記より酒井隆史先生の発言抜粋)
たとえばシャマユーの『人間狩り』は、フーコーが示した福祉主義的国家像を「ナンセンス」と断じています。フーコーの福祉国家像は、基本的には包摂、つまり司牧権力に集約されます。しかし、ポスト福祉国家権力において前景化しているのは排除であり、それは殺しに至ることもしばしばあります。
(略)
シャマユーのこの本は、まさにフーコーがマージナル化しネグレクトしてきた極めて重要な問題を扱っています。レイシズムというのは、根本的には、人間を追いかけ、線引きし、排除したり放り出したり、そして殺したりする権力のことです。
つまり、レイシズムの問題はフーコーの司牧権力分析からは出てこない。まさにシャマユーの言う狩猟権力――追って、捕まえ、監禁し、ときには殺す権力――という概念を使って捉えなければ、そうした権力の迫り上がりも見えてこない。それを独自に分節し系譜を辿ろうと試みる重要な本だと思います。
グレーバー登山の休憩になんか読もうと思うも、また『人間狩り』に戻る笑。でも『人間狩り』の「狩り」と「狩られる対象」を白人権力者(捕食者)が作り出してきたことを踏まえて『万物の黎明』読むと、本当にひっくり返る(まだ途中だけど)。