なんというか、教養というか、文学的な感性がほぼないような人(たとえば首相が休日の間に読む本とかからうかがえる)が怨恨を持つとマジで怖いと思うんだよね。自分を相対化できないから。
最近、毎朝朝飯を食いながら「学力喪失 認知科学による回復への道筋」(今井むつみ)を10ページづつ読んでいるので、参考にしてしまうわけであるが、物事を理解する枠組み、すなわちスキーマを柔軟に使いこなすことが学びのもっとも根幹にあるとされている。これは古めの言葉でいうと「教養」なわけであるな。さまざまな枠組み、パラダイム、世界観を知り、その中である程度自分であれこれ考える、という、居場所を変えながらその場所その場所の枠組で考えたり感じたりする、それをいろいろな場面で経験していることがすなわち教養で(まあだから、大学生に哲学は必修であるべし)、今井用語だと、「スキーマ」になるわけである。ただし、スキーマは教養よりもっと柔軟な感じであるな。