かつてTwitterでたくさん発言してたときに気がついたことのひとつは、意図的に差別や不正を繰り返している者らは我々の「強い感情」を求めているということで、投稿や反論に怒りや悲しみなどが強く反映されたなにかが含まれていると、嬉々としてそれに反応してくるということでしたね。悲しみにうちひしがれたり、怒りに震えたり、そういう姿が見たいわけです。だからそれを引き出そうとする。
でもそれでかれらの不安や虚しさが解消されるわけもなく、まさに不毛な状況が生み出され続けている。というのがいまのSNS空間になってしまったように思える。「コンテンツ」として消費されにくい投稿を心がけたほうがいい、というのが結論。