築40年の借家は崩れなかったが(後に全壊と判定)夜になるとそこら中で火事が起こり出したので避難所の中学校に行き、2月末までそこの教室で暮らした。最初の夜の突き倒されて転がるおっさんらも居た毛布の奪い合いは醜いものだったがそういうのは一晩だけでありおおむね秩序と良識は保たれていた。体育館がいっぱいで教室に回されたのはかえってラッキーだったかもしれない。床に段ボールから段々と環境は改善されていったが、そうすると今度は串の歯が欠けるように少しずつ避難所を出ていく人たちを見て「いつまでここにおらなあかんのか」という別のモヤモヤが起こってくるのだった。