【構造的差別】あるいは「日本人」として、あるいは「本土の人間」として、あるいは「原発の無い街の住人」として、あるいは「健常者」として、あるいは「男性」として、あるいは「リベラル」として、あるいは「マジョリティ」として、『助けてあげる』という態度は、自分の「優位性」を鼻にかけた傲慢な態度であり、その事に無自覚なまま「手を差し伸べる」というのも「構造的差別」なんだよな(自戒を込めて)。