4章まで読んだ。>『「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす』
「ウォーク」(主として政治的に、目覚めていること、みたいな意味)、という形容詞がキング牧師の演説に登場し、当初肯定的な意味で使われていたのがだんだんと揶揄的意味で使われていくようになる流れは、ああ、そうだよな、日本と同じやな、と思った。まあ、日本の「意識高い系」は最初から揶揄的意味で使われてたような気もするが、まあ、本質的に大差ない。
人権とか多様性とか言う大企業が、「政治的な発言や振る舞いをやめろ」と右派から攻撃され、そうした大企業が口先では綺麗事を言いながら労働者の搾取や租税回避に勤しんでいる欺瞞を左派が批判すると、右派が大喜びで歓迎する。もちろん、右派は単に正義へのコミットをやめさせたいだけで、「もっとちゃんとコミットしろ」と言う趣旨で批判している左派とは同床異夢なわけだが。もう、何から何まで既視感がありすぎる。
名だたるグローバル企業の「ウォーク」は、明らかに本気ではない。しかし、本来的な左派にはあまりにも力がない。どこに向かって何を言えばいいのか。真面目に考えると、どうしようもなく詰んでる盤面が見えて辛い。