この物語はフィクションです。のあのいつもの一文で、すべては終わっていたはずなのに、たかが書かれたものについて人権だの倫理だのあーだこーだ言い始めるのは、書いてあるものが実現するという発想に起因する。書かれたものからの可能性・潜勢態に怯える現代人。エクリチュールにデュナミスが宿り、それが開花する…しかしそれらはすべて妄想なのだ。なぜなら、オタクたちは、書かれたものの中に入って行って満足するから。現実における性欲を、仮想・妄想の中で満たす。書かれたものにデュナミスが宿るのではない。我々の心のうちにデュナミスは宿る。そしてそれを開花させる手段に、実現(性犯罪)を選ばず、妄想へ逃避する。このふるまいこそが正しき倫理的適応なのだ…