「滅共棒」ってネーミングが「精神注入棒」ににていて、棒で虐待することに過剰な意味付けをするというあたりは日本の帝国軍の発想由来だろうなあ、とか思ったりする。
ところでこちらに精神注入棒の現物が。バットですな。
https://note.com/sensou188/n/n971d5c2263ac
なんつーかこう、戦後の部活ってのはこのあたりの暴力で精神を鍛える(そうすれば勝てる)という発想をそのまま受け継いでいるのだなー、とつくづく思う。今や昭和ほどではないが、それがスポーツ・五輪利権につながって森喜朗的な世界として存続しているのだと思う。