組織の中で苦しみ抜いて自死した人間の私的な文書をハイエナのように漁って「ほらみろ、こんな人倫にもとる文章を書いていた」と暴露する行為を行うことは、私の感覚では自分自身のあさましさに頭を抱えて苦しむことになると思うが、これは確かに「恥」の感情であり、そのために私は抑圧されている、とは言えるが、だからといってその抑圧から解放されることでなにがしかの自由な気分を得るかといえば、おそらくそのようなことはないだろう。
しかしながら、この「恥」感覚を自ら踏みにじって乗り越えることになにがしかの価値を見出している、そのような人間ならば、積極的に恥をかくことに価値を見出すであろう。それが、破廉恥、なのである。