例えばそのナチスの時代に関しても、ユダヤ人のホロコーストは理詰めで計画されてとことんまでそれを突き詰めたところが恐るべき国家事業だったのであり(BMWの中古部品の偏執狂的ともいえる仕分けをみたときに即、私が連想したのは強制収容所の遺品の仕分けである)、その反省で「自律して考えろ」が戦後ドイツの理念のポイントであり、それは軍隊においてさえ、個人は軍務を拒否できる、として認められている。しかしながら、80年後の今、国家システムはその公理を否定して「自律して考えられない」という、まるでナチスの時代そのままの状況になっているのである。