ナチスの歴史の猛省が戦後ドイツの中心理念であり価値観から教育まで構成されて80年、イスラエルを絶対的善とすることもその構成の中心的な公理にもなった:
ということを考えていて、ドイツの人々のいかにも理詰めの考え方が、イスラエルがナチスの反復にほかならぬ民族浄化をもはや隠しもせず公然と行うに至って、にっちもさっちもいかなくなっているのであるなー、とつくづく思う。小さな二階建てのショッピングセンターであってもその窓を掃除するのに過大なまでに大掛かりな重機を搬入して本格的に行ったりする様子は「腰の入り方が違う」と、私を感動させたり、BMWが中古の部品を整理する際の仕分けの大規模かつ詳細を極めた分類にかなわんなー、と思ったり、これらもその理詰めの中の理詰めを体現したものである。
それで教科書的な数学の公理や定理の話を思い出して改めて眺めたが、これ、まさにドイツ人の考え方なんだわな。まんま。
https://mathlandscape.com/definition-and-theorem/
あまりに自明になったイスラエルの絶対的善という公理がそのナチス化により本質的矛盾をきたし、ドイツ国家体制のレゾンデートルの危機に直面しているのである。