先日行ったある祝賀会、来賓として川崎大師の貫首が来ていた。貫首とは要は川崎大師のトップという事らしいんだけど、主催者の人が、毎年初詣に何百万人という参詣者が訪れる川崎大師の貫首様を今日だけは我々だけで独占できる訳です、みたいなことを言ってたけど、川崎大師に初詣に行く人は別に貫首に会いたくて行く訳ではないのでは…ほとんどの人は貫首の名前さえ知らないで行ってるのでは、と思った。
そもそも川崎大師なら本尊の弘法大師を拝みたくて行く訳で、貫首本人に帰依しちゃってたら仏教ではない他の宗教になってしまわないか?
それ以前に日本だと仏教徒だから川崎大師に初詣に行ってるという自覚のある人は少なくて、ただの習慣で行ってる人が多いだろうな、とか色々考えさせられる一言だった。
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jam (jamchibi@mstdn.jp)'s status on Monday, 14-Nov-2022 13:09:35 JSTjam