「理学に性がたまたまあっていた」とこの20年前には書いているが、いまは「あたらしい分野を作る」というコスパが絶望的に悪い仕事が中心なので、理学かどうかは結局関係ないような気もする。おもしろいことに、好きなことをやっていたら、半ば身は滅ぼされながらもあとからいろいろついてくるのである(おそらく天才はその究極で、だから天才は常にどこか悲劇的である)。だから、「おもしろい」と思うことにどんどん敏感になるような、高校大学生活を送ってほしいよねー、ホント。
子は今は機械に埋もれてサウンドエンジニアリングをするとか、3次元グラフィックスをデザインするのがおもしろいらしいけど、それを突き詰めて「なにをおもしろいと感じているのか」と体で感じて考えるような、そのような修行をしてもらえたらなあ、と思う。おもしろさの極めて個人的な一般化、とでもいえようか。