ドイツで意識不明になった人の治療を継続するかどうかでドイツ人の医師たちとさんざん議論したのであるが、究極のところで「リソースをこれ以上割くことに意味があるかどうか」という議論になる。私も友人たちもそんな土俵に乗れるか、ということで「なにを言うか」と私が言い、そして彼らは待ち、意識不明の中でも何度か持ち直してその時間を私も家族も友人たちも一緒に生きることができた。その二ヶ月の生は、その後15年の生と、意味的にどちらがどのように重いのか、私には断言しかねる。プライバシーを守る、というのはそのような感じである。