れいわ新選組のことを考える時に、時々、「考える力」もまた資産である、ということが脳裏をよぎる。そういう訓練を受け、それをする時間や余力があり、また能力がある。そういう自分が「持たないものの党」としてのれいわ新選組を批判してよいのだろうか、とは思う。