れいわの「移民政策」は「移民導入政策」でありいわば入口であるという事、そして入ったあとの話をしているワケではないというのは、それはそう感じていたところはある。
しかし、その違いを論ずるのは、考えてあげるのは、あまり意味をなさないように思える。
なにを反対しているのか明確にせず、導入なのか導入拡大なのかすら明確にせず、極右に対してその違いすら明確にしない。
これは意図的にやっているのだろう。
あやふやにしつつ、逃げ口なのか煽りやすくなのか知らないが
「移民を(”これ以上”がつくのか或いは”そういう風に”というのがつくのかどうかも分からないがどうでもいい)
受け入れる(”受け入れる”という言葉さえもわたしは嫌悪するが)
必要はない」としているのだから。
敢えて思いを汲んでやる、考えを理解してやる必要はない。
とは思う。