鉄道に限らないのですが、交通する権利とは「交通権」とでもいうべき人権の一つなのであり、その権利は社会が守るべきものである、という発想が日本では乏しいように思います。さらに言えば、交通権を声高に説けば、「人権なんてほざいてやがる!」と勝手に反感を燃やされかねない日本の惨状です。
そうなると存続できる交通手段は、個人の負担による「儲かる」交通手段ばかりになります。儲からない存在は無くなってよい、という発想は、私にはとても危険なように思われ、それこそが今の日本を蝕んでいると思われるのです。やまゆり園の植松は決して特殊な日本人ではなかったのかもしれません。