消費社会の話で思うのは、「欲望」が満たされることが「幸せ」である(満たされないのは不幸である)という大前提で、普通私たちは現代社会を生きているけど、
精神分析は、むしろ「欲望」があるのにそれが「満たされない」ということの体験を促す。
プラスではなくマイナスの発想。
で、その最大のものがエディプス・コンプレックス。「お父さんを排除してお母さんを自分のものにして結ばれたい」という欲望をどこかで断念した時に、人は初めて社会性を身につけた人間になる…と。
欲しいと思ったら、それはその瞬間に満たされていなければならない(欠乏を体験することに耐えられない)という人は、皆さんが思っているよりも世の中には大勢いて、でももちろん欲しいと思った瞬間に満たされることは普通あり得ないので、どうするかというと満たされたという幻想の中に生きるか(でもことあるごとにそうではないという現実が垣間見えてしまうので、その時はそれを満たさない現実への激しい憤怒に変わる。例えば自分が好きなのに自分のことを好きではない女の子への怒りなど)、または「自分の中には欲望などない」という形で欲望と現実のギャップの体験(欲求不満)を回避する。
精神分析はその欲しいのに手に入らないというギャップの体験(喪の作業)ができるようにする営み。