BTした辻真先氏のインタビューで「大人たちがスイッチを切り替えたみたいに言動を変えたのが嫌でね」というのは、作家の吉村昭氏も同じことを書いていた。
戦時中、世の中は浮き足立って、子供だった吉村氏自身は感覚も麻痺していたし、日本が負けるとは想像もしていなかったが、本当の驚きがやってきたのは終戦後、多くの人々が突然戦争批判をはじめたことだ、とエッセイにはあった。
長いけど一部を引用:
堰をきったように流れ出したそれらの発言に、私は息もつまるような驚きを感じて身を潜めた。私にとって、熱気の中にいたような戦時中に、それほど多くの戦争批判者がいたとは想像もできないことであった。と同時にかれらの論旨に従えば、戦争が罪悪であることも知らず勝利を信じて働きつづけた私は、戦争に積極的に協力した少年であったことになる。私は、自分が潜伏している犯罪者であるようなおびえにとらわれた。
しかし、年を経るにしたがって私はひそかにそれらの発言者に反撥をいだくようになった。おそらくかれらは、その言葉通り戦時中に戦争を批判しつづけたのかも知れないが、それらの発言は、終戦後からはじまっていることに致命的な弱さがある。かれらの最大の弱点は、終戦後という一事にかかっている。私はかれらの発言がかれら自身の保身のためによるものであると考えるようになっていた。
//中略//
私は、自然と牡蠣のような沈黙の中に身をひそめるようになった。そしてそれは、敗戦の日から二十年間つづいた。
その間、私は、釈然としない思いで戦争のことばかり考えつづけていた。そしてその結果、少年であった私の眼にした戦争を、たとえ非難されることはあっても正直に述べねばならぬことに気づくようになった。戦争について沈黙をやぶることは、私にとって踏絵を眼の前にしたキリシタンと同じ勇気を必要とするように思われた。しかし、このまま口を閉じつづけることは、終戦後二十年間胸の中にわだかまった欝屈とした気分を、死ぬまで抱きつづけねばならぬことを意味している。それは、もはや私にとって堪えがたいことであった。
——『月夜の記憶』吉村昭、講談社文芸文庫
小学校の宿題で、戦争の話を大人に聞こうとしても、当たり障りのない話か、どこか後ろめたいような、奥歯に物の挟まったような印象の話しか聞き出せなかったことなどを思い出して、いろいろ考えてしまうところがある。