率直に言って、この後半の記事で呉座さんが述べていることは、極めて歴史学にとって危険で、その存立を揺るがせかねないことです。「間違った歴史認識の修正は国主導で」と見出しにありますが、歴史認識を国家の権力で押し付けることは、学問の自由を損なうものです。大変問題といわざるを得ません。
「歴史的事実を正確に伝えるのであれば」といいますが、ごく単純な事実関係ならともかく、ある程度解釈に入るようなことを国家権力が「認定」すること、それを対外アピールに使うこと、それを歴史学者が片棒担ぐことは、学問の自由な発展に反するものでしかありません。大変問題です。
さらに言えば、もし仮に「間違い探し」活動を国家ぐるみで世界のコンテンツに対して行った場合、起こることは日本に関する認識の深化ではなく、「日本は面倒だからコンテンツ展開やめとこう」という、イメージの悪化とジャパン・パッシングでしかないでしょう。目的に対しても合理的でないのです。