なんにせよ、論理構造の組み立てができていないところで議論をしても不毛なだけで、有害でさえあるので、「耕論」として提起するなら、もう少し論を組み立てないと、これでは、インタビューを受けた人も炎上に巻き込まれて気の毒だと思います。
日本人は、教育のなかで論理的な言語トレーニングを受けてこないのが、こういうところで効いてくるなぁと思います。
このレベルの論理構成を「論」として出すのは、文章書きとしては強い抵抗があります。
記者さん個人で炎上するぶんはしかたないと思いますが、インタビューを受けた人を巻き込んで、確信犯的に火をつけにいくのは、よろしくないのではないですか。