一方、蓮舫氏を応援した側にも属人的なロマンティシズムはあったろうし、それは生身の人間に賭ける以上不可避でもあるんだが、今回のひとりスタンディングというムーブメントはそういうヒロイズムを部分的に凌駕していたのではないか。特定の人物に集束してゆくというよりもむしろ、ひとりひとりが空漠たる世界と対峙し、その中に拡散してゆくという逆向きの動きによって。これは石丸のイメージである特別な個による「突破的」ヒロイズムに思い切りケンカを売る態度だ。だからこそこの動きに胡散臭い目を向け、悪罵を浴びせる者も多いのだろう。この「無駄さ加減」(敢えて言う)が新自由主義的リアリズムに牙を向く。そう、我らは狼。