批判を真顔で語りきることを避ける仕草ってホモソーシャルだなって思う。批判を真面目に語りきると、場がシーンとする。間が生まれる。そこに生まれる『間』こそが批判という行為が引き寄せる『思考に与えられた時空間』であるのに、その『間』が広がっていく隙を与えないということを同時にやっているんだろうな。人の真面目さを揶揄うことの裏返しをやってしまってるように感じる。