私は現在、人権運動において一人のマイノリティ当事者を「アイコン」(あるいは「人柱」)にすることに批判的な立場を取っています。 矢面に立つ決断をされた方の覚悟は心から尊敬します。しかし、運動というものは上記のように一人でやれるものではないと思い知った今、矢面に立つ人がいるということは、その人を矢面に立たせる方向に進めた誰かあるいは周囲の人々がいることも知りました。 矢面に引っ張り出された当事者は、その後も差別構造が盤石なこの社会を生きていくのです。少し考えればわかるように、それは困難極まります。一個人のマイノリティ当事者を攻撃の矢面に立たせる(引っ張り出す)なんて状況は、本来起きてはいけないことです。 私たちの活動は誰も矢面に立たない方向性を選択しました。そのため、SNS/インターネットではほとんど何も公表していません。私がロビー活動をしていると明かすことも今後ないかもしれません。そのため、私含めメンバーはSNS/インターネット上では「なにもしていない」と見做れるのだろうなと思います。しかし、皆それぞれ、できることを可能な限りやっています。 冒頭に戻りますが、「沈黙は加担」という言葉を向ける先を誤らないでください。他者に向けるためのものではなく、権力と己に繰り返し問うためのものです。