都知事選、N国党のやらかしだけで充分顰蹙なのに、暇空茜まで出馬するという無茶苦茶ぶりで、禁止されなければ何をやってもいいという無責任体質が世を蝕んでいることを痛感させられます。暇空はミソジニーのネット世論に乗っかって嫌がらせをする輩で、公的な場に出してよい人物ではありません。
暇空問題は、ミソジニーの下劣な心情に沿えば、事実無根の嫌がらせでも同調者がそれなりに出てしまい、カンパが集まって儲かってしまう、訴訟されて損害賠償しても儲かる、そんな人道に外れたビジネスモデルを生みました。事実が何であるかより、気に食わないかどうかが最優先なのです。
しかも暇空が攻撃したNPOのColaboは、立派なことをしている「のに」叩かれたのではありません。立派なことをしている「から」叩かれたのです。女の分際で社会に物申し、何か立派そうな活動をしていること、それが下劣な男どもに「偉そうに、上から目線だ」と勝手な逆恨みを抱かせ、攻撃するのです。