なお、別の箇所では、日本では、「ポスト・コロニアリズム」や「カルチュラル・スタディーズ」の多元性礼賛が、「日本にも固有の価値がある」から「日本がやはり一番だ」にずれていってしまう(グローバル・ヒストリーも同様の構造でねじれていく)ことが指摘されていたりもする。