斎藤学さんには、最後まで顔と名前を覚えてもらえませんでしたが。笑
それどころか、彼は自分のところで働いているスタッフも、彼がやってた学校の学生も、患者も(その三者は常に実際に混じり合っていましたが)区別がついてなかったので、私が感謝なのか、スタッフなのか、学生なのかも、最後まで分かってないようでした。
まぁ実際、互いに違いなんてないし、私の同級生には「元患者」という人が何人もいました(依存症のサバイバーとか)。何故かうちの学年は、例えば「不登校時の親」みたいな立場で治療に繋がった人が多くて(さっきのFCタイプ)、なんとなくこじんまりまとまってましたが、上下の学年はさっき書いたIPの側の人が多くて、やることがしっちゃかめっちゃかで派手でした。
今、私がやっている精神分析も(因みに元々は斎藤学さんも精神分析を勉強していた人でした。飛び出してしまったけど)、一応、今も、少なくともタテマエは、やはり患者と治療者は同じだという前提があります。
そして治療者になるには、自分自身が分析を受けなければならないという。フロイトは自分のことを「自己分析」して精神分析を打ち立てましたし。
人間には誰にも精神病部分と非精神病部分があるというのは、ビオンという精神分析家が唱えた理論です。